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  • 執筆者の写真西留安雄

授業備品 NO.164(2021.7.1)「これだけでも」

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 先日、中学生の授業を見る機会があった。指導校の一つだが、ALとはなりきれていなかった。生徒が座りっぱなしで授業に臨んでいた。これでは、教科の期待する学力の数値も期待できないばかりか、教科嫌いをつくってしまうのではないかと危惧をした。ALは、「アクティブな動き」が授業に必要だ。自分が受けてきた授業をコピーして授業を行っていることに気付いて欲しい。


1 「座りすぎ」を止める

 教師自身が座りっぱなしの授業の大変さを感じたことがあるだろうか。私自身もパソコンに長時間向かっている時があるが体がきつくなる時がある。この「座りすぎ」によるリスクを考えて、立って働く会社も増えているようだ。私もパソコンを立って使用したところ眠気が起きず仕事の効率が上がったと感じた。生徒も同じだろう。

 教師が眠っている生徒を起こさなくても、生徒が話を聞いたり考えたりする時は立ち上がらせることは、すぐにでもできることだ。「脳」と「体」をバランスよく働かせることは、ALの趣旨に沿うことだと思う。ぜひ、次回の授業は、「座りすぎ」を止め「立って動く」アクティブな授業を期待したい。


2 考察は、「つまり」のこと

 「考察」や「深い学び」と言葉が並ぶと、なぜか難しくなる。荒尾第一小学校は、スタンダードの導入時から、考察を平たく言う「つまり」という言葉で練り上げを行ってきた。

①考察1 班の意見の出し合いとカテゴリー分け

班活動の後、各班から出されたホワイトボード(全員が一度は短冊やホワイトボード等に書き、その集合体の考えを別な「短冊・ホワイトボード」に書く。それを黒板に貼り、カテゴリー分けを行う。

②考察2 カテゴリー分けされたものを見て「つまり、課題の〇〇は、・・・」

 学習課題を再度言い合い、「つまり」を主語に課題解決を図る。「つまり」が、自分の意見を言う(解釈)ことにつながる。


3 班の考えは、全員の考えの出し合いの場

 班で集まるのはよいが、分かる生徒が一人で班の総意としてホワイトボード書くことは避けたい。前述したが班に集まったら、お互いの短冊やホワイトボードを見せ合いながら討議をする。討議が終わったら、ホワイトボードに書いたことを全部消す。その上で、新たな班としての考えを書く。その後、「ぶらぶらタイム」や「ワールドカフェ」を行い、自分のノートに新たな情報を書き足していく。その後、黒板にホワイトボードを出し、カテゴリー分けを行い、全体で話し合う。一人の考えをホワイトボードに書く姿を見て、他の生徒の目は輝かない。分からなくても、自分の考えを少しだけでも出す癖をつけておけば、協働的な学びとなる。


4 班長が順に発表するより、班の考えの構造化を行う

 これまで何回か提案をしてきた。だが、依然として班の考えを班順に発表させる授業がある。これは単発に意見を出すだけで、「つなぐ」発表とはならない。班で十分に意見を出し尽くしたら、班の考えが書いてある短冊(数枚)の構造化を行うとよい。即座に班同士の考えを「つなぐ」ので、分かりやすいと思う。その際、その役を教師が行ってはならない。教科リーダーが行い、全員に「これでよいか」と問えばよい。その後、前述した考察の「つまり」に入り、学級としての課題解釈を行う。学習課題に正対すると思う。


5 板書

 板書は教師だけのものではない。生徒たちに授業の「ストーリー」が見えなくてはならない。とりわけ、「インクルーシブ教育」が法で明記されている現状から、生徒がこの授業で「つけるべき力」は何か、「どのような手順で授業が進むのか」が分かる板書でありたい。そのためには、授業グッズを全教科で使い、生徒自身が黒板をノートのように使うようにしたい。


◎良い授業は、教師より生徒がたくさん話す。また、座学をさせるのではなく立ち歩き意見を交換させる。諸外国はこのことに気づき、ALを行っている。このことに気付かず、教師主体の教科書の内容を教えたがる教師がまだまだいること危惧をしている。ぜひとも自分の授業を見直していただきたい。

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