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執筆者の写真西留安雄

授業備品 NO.174(2022.1.6)「普段通り(普段着)の授業へ」

PDF版(クリックで表示されます。)


 授業改革で私自身が大きな勘違いをしていたことがある。「勘違い」が顕著になったのは、自校で学習スタンダードが定着した時だった。(もっと早くから取り組んでおけばよかった)と思った。


自己満足の授業だった!

 新採の頃から授業研究に進んで手を挙げた。当時も「子供が前面に出る授業」を心がけていた。だが、大きな間違いをしたことがある。研究授業ともなると来る日も来る日も学習指導案を練り、書き直し授業に臨んでいた。研究授業当日は、多くの子供たちが挙手し学習課題の解決に一直線の授業となった。授業研究の夜は、終えたことに安堵し、「一人自己満足」になっていたことを覚えている。肝心の子供が「全員活躍できる」ことがおろそかになっていた。研究授業の翌日は、通常の「教師が喋りまくる授業」に戻っていた。

 なぜ、こうしたことが起きたのかを吟味すると、「子供があっと驚く教材探し」に固執していたことに行き着く。また、当時はこうしたことをよしとする環境があった。専門知識を持つ先輩をマネしていたからだ。

 授業検証の場でも特段指導されることはなかった。まさしく、教師中心の「自己満足の授業!」であった。今、思うことは、子供たちに申し訳ないことをしてしまったことだ。学習スタンダードが全国に広がり、子供が主体的な授業を創ることが当たり前となった。あらためて授業は子供たちが満足しているかを問うとよい。その時の基準は、教師が魅せる授業ではなく、子供が授業を創っているかどうかだ。子供の顔が輝いているだろうかだ。


完成形の学習スタンダード(浦戸小学校6年・算数「概数」・3.12.10)

 浦戸小学校も大きく授業が進化した。学習スタンダードで学んできた6年生の授業を昨年度末に見た。「完成形の授業」そのものであった。教師が授業に入ろうとすると、子供たちが自分たちで出来ると考え協働的に進めていたことが印象的であった。かつては諸課題もあった学校であるが、授業の進化と共に学校の様々な面で比例して発展している。なぜ完成形かを振り返ってみた。


①授業前に授業の流れが良く分かる板書(授業の流れの見える化)

②司会原稿なし(普段から司会進行を子供たちが行っているから司会原稿はない)


・本時で司会をした子供の言葉

あ「問題をノートに書いてください。書き終わったら3回、声に出し読んでください」(声出しは、言語活動で必須。書き終わった子は、それぞれのノートに分かっていることと聞かれていることの線を引く)

い「みんなで問題を読みましょう」

う「気づきを発表します。分かっていることは、〇〇です。聞かれていることは、〇〇です。(司会者が行う)」

え「先生、課題をお願いします。書いた人は3回声に出し読みましょう」

お「見通しをします」「Aさんお願いします(キーワードを中心に課題の解き方や学習方法を行う)」

か「解けるかどうかのグーパー確認をします(子供同士が周囲を見る)」

き「ペア学びをしてからで自分の考えをノートに書きましょう」

く「班で考えをホワイトボードに書き、前に貼りだしましょう」

け「聞かれていること」の二つを板書しながら話し合いましょう」

こ「考察をします。課題をもう一度読んで下さい。「つまり・・」から先を話し合いましょう」

さ「まとめをします。ここも「つまり」の後を自分でまとめてください」

し「振り返りをします。3視点で書いてください」


③子供たちだけで協働して授業を進める(教師を頼らない)

④セルフ授業が定着している

⑤「学習キーワード」で授業がスムーズに進行する







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