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佐喜浜小 竹村和男
進化型スタンダードやセルフレッスンは「部活動のような授業」と西留先生はよくお話されていた。部活動を 担当されたことのある先生方であれば、ある程度は理解できるのではないかと思う。時間通りに練習に参加でき ない時に、「キャプテン、サーキットと基礎練習メニューをやっておいて」とか「試合前だから、すぐに練習ゲ ームに入って」とか、その日の課題を指示して、子どもたちにある時間までは任せることがある。これが良い事 とは感じていなくても、練習を休むよりは数段ましである。また、指導者が後から参加できる可能性もあるので、 指導者自身も一安心できる。任された子どもたちは、それなりにきちんと練習メニューを行う。特に大会が近け れば、気を抜くことなく、集中した練習を積んでいく。強豪と言われるチームでは、指導者がいなくても、キャ プテンを中心とした子どもたちの力、まとまりで充分練習ができている場合が多くある。大会で優勝するのは、 監督の活躍ではない。選手がどれだけ大舞台で練習の蓄積を出し切るとともに、本番で力以上のものが発揮でき るのかである。選手の力をいかに引き出せるのか、これが監督の力であり、手腕を決める。 これと同じようなことが、授業でも言えるのではないだろうか。極論であるが、学校は「子どもたちが勉強に 向かってくれること」ただこれ1つの目的のために存在しているとも言える。周りの先生たちは、学習の主体者 である子どもたちが、自ら学ぼうとする意欲を継続させ、高めていくことに徹すれば良い。車にたとえると、ボ ディが子どもの健康な体と心であり、運転者ももちろん子どもである。そして、周りの大人たちは、それにガソ リンを入れたり、エンジンオイルを注いだり、道路整備を行なったり、交通標識など運転しやすい環境を整備し たりする役目を担っていると言える。決してすべての道を決めるNAVIになってはいけない。行き方は、子ど も自身に委ねることが肝要である。 私は、今から 35 年ほど前の 25 歳から、ジュニアバレーボールの指導者として、子どもたちともに、勝利を目 指して歩んできた。山あり谷ありであったが、子どもを鍛えていく指導法に転機が訪れたのは約 10 年前。それ までは通勤約 15 分以内の学校での勤務であり、練習にほぼ毎日参加できていた。しかし異動とは非情なもので、 ジュニアスポーツの栄光などの考慮はない。50 歳越えてから、通勤往復 1 時間 40 分以上の勤務ばかりとなった。 自分自身の社会を見る力が足りなかったことが最大の要因であるにせよ悔しさは残っている。しかしそれで今の 自分がある。その当時 40 名以上いたクラブ員の指導をこれからどうしていくか、コーチも複数名いたが、仕事 上平日の練習の参加は難しい。そこで頼りにしたのが、キャプテンであり、送迎していただいていた保護者の方々 である。キャプテンには、1時間 30 分程度の練習メニュ-(練習課題)を教え、もしそれまでに私が練習に参 加できなかった場合は、キャプテンを中心にメンバーで考えて練習を行うように指示をした。また練習内容も、 個人練習をメインにし、1年生から6年生のメンバー全員の足が常に止まらないように、そしてボールも上下に 動き、掛け声が飛び交うような内容に作り替えた。指導者の指示やボール出しで行う練習はできないから、こう せざるを得なかった。しかし、これが基礎基本力を高め、チーム力は落ちる事はなく、向上した面も多くあった。 今では県下の多くのジュニアチームが、普通に取り入れている練習スタイルは、練習に参加できない監督の苦肉 の策から生まれたものである。 私のチームには今でも 20 名以上の子どもたちがいるが、今は私のチームはそれほど強くない。これを他チー ムも同じように行うようになれば、やっぱり指導者が、適宜アドバイスを与えたり、フォームの矯正や応用技術 の反復練習に付き添って指導されたりしているチームにはかなわない。また保護者が安全管理をしていても、指 導者がいない中で子どもたちだけで練習させるのは、良しとは言えない。しかしこのような中でも集ってくれる メンバーがいる。チームは存続している。感謝しかない。 以上、私自身のジュニアバレーボールの指導の歴史を語ったが、これはスタンダード授業の4つの階段と大変 酷似している。子どもたちに任せるセルフレッスンという3つめの段階から、最終的には教師が専門性をフルに 発揮して教えていく最終ステージ。これが教育の最終段階であるということをスポーツも示してくれている。目 指すは、先生の教え方と子どもの学び方の双方の向上である。 今も私は体育館へ足を運んで、子どもから指導法のヒントを学ばせてもらっている。
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