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今年こそは、全教師が子供な学び方を身につけさせて欲しいとの思いで、日本国中を訪問させていただいている。それは、全員の子供たちが創る授業を待ち望んでいるからだ。だが、現状はかつての昭和型の日本の授業現から抜けきれないことだ。「現状のあたりまえ」が続いている。教師が授業をする、教科内容を教えることが主となっていることから転換できない。なぜそうしたことが続くのかを考えた。
かつてのあたりまえ
1月2月は、受験の時期だ。そのためにひたすら「覚える」ことが学びの主となっている。「教育は昔も今もこれからも変わらない」という私学の幹部から聞いたことがある。有名校や学部に何人入れるかが主となっており、肝心の「人づくり」には至っていない。こうしたことが進むべき教育や授業像とはなっていないと思う。こうした考え方が教師の中にもあるのは確かだ。テレビから流れるCMも、全子供が先生を見て話を聞くスタイル。社会でも授業は、教師が教えることが「あたりまえ」となっている。
あたらしい あたりまえ
これまでの日本型授業(一斉指導・挙手指名発表等)に疑問を持たない、教科教育の内容を教えるとの思い込み。これでは、教師の授業は変わらない。その日本の授業観を変えるためには、外国の授業が参考になる。徹底した「探求学習」が多い。「アクティブ・ラーニング」もアメリカ発だ。「あたらしい あたりまえ」とは、子供たちが学び方(学習スタンダード及びその進化型)を身に着け主体的に学ぶ方法だ。これこそがあたりまえの授業なのだ。
動き続け、挑戦し続ける
この「動き続け、挑戦し続ける」ことは、子供たちのことだけを言っているのではない。大人も同じだ。私のこれまでの経験から、動き続け挑戦していく生き方は何歳になっても変わらない。子供は、特に授業において、教師の話を聞くだけの受け身ではなく、個々が動き、仲間と楽しく、学びを深めていくことが重要だ。そして子供自身が自分のことを進化し生きていって欲しいと願うばかりだ
このことに視点を置く中央教育審議会の答申、昭和型から令和の日本型授業に変えていくということが至極当たり前だと思う。
教師も同じだ。これまでの授業観を変えず、ただ知識を身につけさせる。受験が重要だと考え、かつての授業観で授業をする。学習指導要領が変わっても、授業方法を変えない。これは、自分自身の授業改革に動いていないだけだ。挑戦し続ける意志もない。もう、こうした教師の生き方を止めよう。生き方と同じように、授業改革も動き続け挑戦し続けよう。
自分の言葉で自分のことをいかにしゃべれるか
学習スタンダードを軌道に乗せていない学校の子供たちは、「声が小さい」ことが特徴だ。教師がたくさん話すため、「単語」しか話さない子供が多い。教師の発問に、単語の一部でも話せば、待ってましたと教師が話す。こうした構図の授業が、子供たちの「話したい」を止めている。
子供たちは、令和から先を生きる。世界の子供が当たり前に話せるように私たちの目の前にいる子供たちに自分の言葉で自分のことを話せるようにしよう。学習スタンダードで話せるようになった子供たちが多くの学校にいることに気付いて欲しい。
ICT、学習スタンダードを身につける
身につかない原因は、子供ではなく教師側にあると思う。前述した授業改革が進まないことと関連している。教科書の内容を教えるだけに固執していれば、ICTや学び方が身につかないのは当たり前だ。教師が積極的に指導すればよいことだが先送りにしているのが現状だ。
これではいけない。まず、子供たちが学び方(学習スタンダード)を身につけることが重要だ。学び方を身につければ、子供たち自身がICTに挑戦していくと思う。このことは、研究者も、決まって学び方の上にICTがあると言う。ICTが使える条件は、揃っている。教師が変われば、ICTも進むのは確かだ。
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