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これまでの授業は、教師からの指示による挙手、指名、発表が多かった。一斉授業からからくる形式が原因だと思う。この形式に何ら疑問を持たなかったが、考える時期がきたと思う。これは、次期学習指導要領で指摘されるであろう「学び方」を学ぶことが予想されるからだ。学び方を子供自身が習得するようになる。
そこには、おそらく挙手、指名、発表のことは話題にはならないだろう。だが、挙手、指名、発表は、子供たちの学び方に大きく影響すると思う。これまでの授業では、教師が挙手を求め、分かる子が指名され発表する形式が多かった。私自身も、子供の挙手が多いことに満足していた。研究授業ともなると筋の通った数名の子供が発表すると、「よい授業」と評価をしていた。授業参観にもなると保護者が「手を挙げるんですよ」と我が子に求めた。これが日本の学校の常識だったと思う。今でもその常識に沿うような授業が多いと思う。
だが、考えて欲しい。「挙手が出来ない子」はどうすればよいだろう。授業に参加できない子はどうすればよいだろうか。これまで「じっと耐えてきた」「人前で話すことは苦手だ」という子供はいるはずだ。幸い、学習スタンダードは、ワイトボードやゼミナール等の小集団での発表の場で、子供個々の意見を表明出来る機会を奨励してきた。子供全員活躍型の授業は出来たと思う。
今後は、一律に「挙手、指名、発表」型の授業ではなく、「柔軟に話す、挙手をする授業」に変えたらどうだろうか。
班活動やゼミ形式の場では、あえて挙手をしない
子供たちの休み時間を思い出そう。休み時間に挙手をして遊ぶ子などいないはずだ。このように、子供たちが自然な形で話すようになるとよい。
班活動は、小人数であるのであえて挙手はしない。「つぶやき」や「ささやき」を多くし、自由に話すようにする。「一言しか話せない」子供も話せると思う。要は、心が安らぐような小集団の場になればよい。
その場合の「話し方」も工夫するとよい。少人数なのでかしこまった話し方が必要だろうか。学年の発達段階にもよるが、その学年に合わせた言葉を使わせるようにしたい。
全体の場でも挙手を柔軟に
高知県の学校は、小規模の学校が多い。複式の学年もある。子供の数が多い学級では、全体の場で挙手をしての発表はよいと思うが、少人数の学年では挙手をしての発表に固執する必要はないと思う。これまでの学校が挙手を求めきたことが特殊な場であるからだ。そこを真似てはならない。
東京の自校で経験をしたことだが、全体の場でも自由に話すことを奨励していた。ただ人数が多いので、話をしたい子が立って話すようにした。挙手は特にしなかったと授業もあったと思う。
「自力解決」を考える
問題解決的な学習の一つの段階に「自力解決」がある。まずは、一人で考える。このことは、とても大事にしたいが、「自力解決が出来ない子」はどうすればよいだろう。この解決のヒントを高等学校に見出した。その学校では、数学が苦手な子が多いが、実に楽しそうに授業を創っていたことが印象に残っている。それは、「自力解決」に取りかかるときの様子に特徴があった。
これまで私たちは、自力解決が出来るように、「見通し」を大事にしてきた。学習方法や内容、アイテムを中心に見通しを立てることを奨励してきた。見通しが立たない場合は、キーワード(教科用語)をヒントに自力解決を進めるように促してきた。このこと自体は、いいことだと。
だが、考えて欲しい。現状は、解けるかどうかの挙手をしてもらい、解けない子の対策をしているが、本当の意味での自力解決につながってはいないと思う。授業は、子ども達同士の「人の集う場」なのだ。学校へ来る意味は、「分からないことを人に聞く場」なのだ。教師からの説明を聞く場だけではないはずだ。
仲間と相談して「自力解決」
前述したが、高等学校の授業に学ぶとよい。まずは、「仲間と相談してから自力解決に入る」。相談してから自力解決の手順だ。問題解決の段階が硬直してはならない。階段には、階段をつなぐ手すりやすべり止めがある。それこそが「繋ぎ役」をする。繋ぐための「のりしろ」なのだ。その、のりしろが「仲間と話す」ことなのだ。子供たちは自然体で話し合い自力解決に入れば、安心して取り組めると思う。見通しも重要だが、仲間からの「一声」は、何にも勝る方法なのだ。普段から、「相談して自力へ」という形式をとってはどうであろうか。
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